垣根の上から

日記です。言葉の練習中です。

交差点でおばあちゃんが怒鳴っていた

今日は起きた時から不快ではなくて,不快ではないということは私の日々において非常に珍しい状態であるため,比較的良い日であった.

日光を浴びることにも苦労せずに済んた.

現在の私は日光浴と程よい運動が義務であるが,たったそれしきのことが義務になり,なおかつそれすらも遂行できない自分のこと情けなく毎日泣いている.

しかし自ら出掛けようという気持ちになったときには,いまやっていることが苦痛になるはずだということすら忘れているので不思議だなあと思う.

動ける日には動ける日の思考しかできず,芋虫になっている時には芋虫の思考しかできない.

 

今日は転売ヤーに先回りしてダイソーで毛糸を買おうとして隣町まで出かけた.

毛糸は普通に駆逐されていた.物悲しいほどすっからかんだった.

ものすごくギャル口調のギャル二人組が「びっくりするほどないじゃん!」と私の横で声をあげていた.

ね,びっくりするよね.

 

悔しい思いで店をあとにしとぼとぼ交差点を渡っていると,反対側から歩いてくる集団のなかにすれ違う人みんなを罵倒しているおばあちゃんがいた.

罵倒していると思ったのは大きい声で何事かをまくしたてていたからで,言っていることの内容は一つも理解できなかった.

もともと意味のある言葉を言っているわけではないのかもしれない.

 

街中ではたまにこのようなご老人を見かけるが,あの人たちの日常はどんなものだろうと思う.

少なくとも今日のおばあちゃんは身なりは普通で,きちんと暖かい恰好をした,見た目だけならどんなところにでもいるステレオタイプのおばあちゃんだった.

いや,私が単におばあちゃんの個体識別に慣れていないでだけかもしれないけれど.

 

個人に対して怒っているのではなく,すれ違う人みんなに文句があるようだった.

今日だけ,もしくは私とすれ違った前後のみ,特別に虫の居所が悪く怒鳴らずにはいられなかったのか,どんな日でも家を出た瞬間から怒鳴り続けているのかはわからない.

でも私が思うに,彼女はもともと人を罵倒することに慣れていない人なんじゃないだろうか.

声量のわりに言っている内容が聞き取れなかったのは,彼女の怒りに言葉が追い付いていなかったからじゃないのかなと思う.

おそらくなにかの疾患が彼女の怒りの閾値を下げ,怒鳴るという行動のトリガーを軽くさせていると思うのだが,

怒鳴られた人は彼女のそんな事情など瞬間的に推し量ることはできない.

私も,すれ違った瞬間はただただ怖かった.

後から考えれば考えるほど,おばあちゃんがもう自分の自由意志とは別に他人から疎まれる存在になっていくしかないこと,明日もあの交差点で怒鳴っているかもしれないことが悲しくて怖い.

 

でもまあ,おばあちゃんも私のような人間に同情されたくもないだろう.

以上のことはすべて私の妄想であるし.

 

薬を飲んだ.眠ります.

おやすみなさい.